校歌の作曲者芥川也寸志さんは、文豪芥川龍之介さんの三男です。

 また、1950年、『交響管弦楽のための音楽』がNHK放送25周年記念懸賞募集管弦楽曲に特選で入賞しました。
このとき、もう一人の受賞者は團 伊久磨さんでした。同じ年の3月21日に『交響管弦楽のための音楽』が近衛 秀麿さん指揮の日本交響楽団により初演され、「作曲家・芥川也寸志」の名前は一躍脚光を浴びました。

 1953年、若手作曲家である黛 敏郎さん、團 伊久磨さんとともに「三人の会」を結成。
 作曲家が主催してオーケストラ作品を主体とする自作を発表するという独自の形式によるコンサートを東京と大阪で5回開催しました。

 このように若手作曲家として大きな注目を得ていた1954年(昭和29年)に、本校の校歌が作曲していただけたのは驚きです。

 その他にも、たくさんの映画音楽を作曲したことは有名です。代表作には「地獄門」「ゼロの焦点」「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」などがあります。
 また、全国の学校の校歌もたくさん作られており、早稲田大学の「早稲田の栄光」、京都府立大学、常総学院高等学校などの校歌がそれにあたります。

 昭和22年に大洲中学校が創立して7年後、この校歌が制定されています。当時の校長先生を始め多くの方々の御努力により校歌が生まれたことが想像されます。
 昭和35年に南北に分かれた後も、歌い続けられているこの校歌をこれからも大切にしていきたいと思います。